フォトジャーリストの佐藤慧さんから「10代の君へ」
著名人が子ども時代を振り返りつつ、若者に向けて語る連載「10代の君へ」。 フォトジャーナリストの佐藤慧さん(38)に、お話を聞きました。今回はデジタル限定のロングバージョンです。
中1で不登校になりました。岩手の野山を駆け回っていた小学生の頃とは違って、みんな部活を始め、受験を見据えて勉強する。毎日が色あせていった。 友だちはいたし、「なぜ学校に行かないんだ」と父に言われても明確な理由がわからず、いらだちました。いま思うと、小3のとき弟を病気で亡くした経験が尾を引いていたかもしれません。「死ぬのになぜ生きるんだろう」とよく考えていた。
ある日、担任が家庭訪問で母に「うちの学校に登校拒否がいると言われる。病気ということにしてほしい」と言うのが聞こえ、「もう学校なんて絶対行ってやるものか」と思いました。
やんちゃな先輩から諭されて
高校に入らず、カー用品店でバイトをしていた時。やんちゃな先輩たちが「高校くらい出ておきなよ」と言った。みんな高校中退を悔やんでいた。大人から言われても響かなかったその言葉が身近に感じられ、1年遅れで通信制高校に進みました。
当時の僕は目指すべき大人の像が見つからず勝手に幻滅していた。でも、大人は「完成された子ども」ではなく、子どもも「未完成な大人」ではない。子どもと大人という風に世界を分けて考える必要はなかった。
自分が好きだったギターや音楽を理解してくれる仲間はいたし、赤く染めた髪を「かっこいい」とほめてくれた先生もいた。学校に行けず「まともに生きていけない」と思っている子には「まとも」ってすごく狭い道なんだよって伝えたい。
高校時代に、二つの大きな出来事がありました。一つは姉が19歳で自殺したことです。珍しい持病があり、心が不安定になることのある姉でした。楽しく日々を生きていてもいつかは終わる。そう思うようになった。自殺が悪いことだと思えて、友だちにも言えなかった。
多感な時代に姉を失った佐藤さん。その後も家族との「別れ」が佐藤さんを襲います。その経験があるからこそ、伝えたいことがあります。
道なき道?いや、道は常にあると思う
もう一つは2001年の米国…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル